この男、揺るがない。夜の街で圧倒的な存在感を放つ小鳥遊 翼(すごく秘密)。だが、その華やかな経歴の裏には、意外すぎるバックボーンと、剥き出しの生存本能が隠されていた。"2つの奨学金"と"借金"という重圧を背負い、出口の見えないコロナ禍で彼が下した究極の決断。期待ゼロの「問題児」から、いかにして二拠点を統べる代表へと上り詰めたのか。その泥臭い「覚醒」の記録を紐解いていきます。
看護師からホストへ。コロナ禍と借金。どん底で決めた覚悟

—— 本日はよろしくお願いいたします。まずは自己紹介からお願いできますか。
alpha by ACQUA OMIYA の「小鳥遊 翼(すごく秘密)」です。誕生日は6月23日、ホスト歴は6年目になります。MBTIは「ENTJ(指揮官)」で、趣味や特技はポーカー。好きな飲み物はレッドブルとコーン茶です。
- ありがとうございます。ホスト歴6年とのことですが、この世界に入る前は、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?
……もともとは看護師だったんですよ。 実は、看護師とホストを3、4年ぐらい掛け持ちしてたんですよね。
—— 看護師! 全く違う世界ですが、そこからホスト一本に絞られたのは、何かきっかけがあったのですか?
やっぱり、コロナがあったのが大きかったですね。当時は病院も本当に大変な時期で。そんな中で自分の将来というか「看護師としての自分、今後どうしようかな」って真剣に考えたタイミングがあったんです。それで一本にしようって決めたんですけど……まあ、正直に言えば、ホストをやったのは、もう純粋にお金ですね。お金。
—— 何か深刻な事情があったのでしょうか。
借金があったんですよ。ギャンブルも好きなんで、アホみたいに(笑)。それで落ちるところまで落ちちゃって。そこでもう「何かしないと終わる」っていうところまで追い詰められていました。
それに僕は奨学金の返済もありました。僕は5年間奨学金を借りていたんです。それも2つ。1つは病院からで、もう1個は県の奨学金。病院からの奨学金は、返済が終わる前に辞める時は、一括で返さないといけない。当然、当時はそんなお金は一銭もなくて。どうしようか本気で困っていた時に、当時代表だった今の社長(
芹沢心社長)が声をかけてくれたんです。
—— どのような言葉をかけてくれたのですか。
社長が、「まあ、お金のことはそんなに気にするな。自分のやりたいことがお金のせいでやれなくなるのはもったいない。そのお金は俺がなんとかするから」って言ってくれて。僕が返済できる額を貸してくれたんです。それで奨学金を返して、ホスト一本でやっていくことに決めました。
—— 社長が救ってくれた。
それが一番でしたかね。「本当、こんな親身になってくれる人がいるんだ、こんな世界があるんだ」っていうのが。こんなこと言うのもなんですが、当時、僕の中でホストってイメージ悪かったですから(笑)。その恩義があったからこそ、覚悟が決まりました。
憧れを力に変える。レジェンドから名前を継承した新人時代

—— 源氏名についても伺わせてください。この名前にされたのには、何かこだわりがあったのでしょうか?
もともと「漢字1文字」に憧れていて、どうしても1文字にしたかったんですよ。漢字1文字が良くて、本当は「あおい」とかにしようかとも思ったんですけど、ACQUA GROUPにはあおい会長がいらっしゃいますから。しっくりくる1文字がないかな〜と思って。「翼」はかっこいいと思って適当に決めたような気がします。周りからは「キャプテン翼からですか?」ってよく言われますけど、違うんですよ。
—— 名字の「小鳥遊」と、名前のあとの(すごく秘密)というフレーズ。ここにはどのような意図があったのですか?
名字はこだわったというか……。ホストって売れないじゃないですか、普通にやっても。まずはいろんな人に知ってもらいたい。同じACQUA GROUPで売れていて、Twitterでもめちゃくちゃ有名な方がいて。それが「小鳥遊楓(すごく強い)」さんでした。
—— 業界で知らない人はいない、レジェンドですね。
楓さんの圧倒的な「知名度」と、「小鳥遊」という響のかっこよさに惹かれて。僕は当時、同じACQUA GROUPのalphaで働いていたんで、同業として楓さんのお店に行かせてもらって、本人に「名前パクっていいですか?」って直接お願いしに行ったんです。
—— 直接、許可を取りに行かれたのですか!
はい(笑)。楓さんは「いいよ」と言ってくださって。尊敬する楓さんの名字と、その代名詞でもあった「(すごく強い)」という形を継承させていただいて、「小鳥遊 翼(すごく秘密)」にしました。売れるために余計なプライドなんて持っていても仕方ないと思うんですよ。憧れの存在に一歩でも近づくために、できることは全てやろうと決めていました。
仮面スタイルで人気の「小鳥遊 翼(すごく秘密)」が語る、ブレイクまでの「アホほどスベり散らかした」全記録

—— 売れるために、誰よりもここに時間を割いたことはありますか?
TikTokは頑張ったかもしれないな〜。新人の頃ってTikTokが出たてで、ホストはほとんどやってなかった。ホストクラブでもMAJESTYさんがやっていたくらいだったと思います。
—— 誰もまだやっていない未知の領域。迷いはなかったのでしょうか。
僕は何でも「まずはやってみよう」でやっちゃいますね。ダメだったらすぐやめればいいし。いろんなことに手を出しました。先輩にSNSについてもいろいろ質問して「これいいよ。あれいいよ」と言われたら、とにかくそれを信じてやってみる。特定の何か一つに絞るんじゃなくて、「あらゆることにチャレンジすることに時間を割いた」という感覚です。
—— 翼さんといえば、「仮面スタイル」が印象的です。どのような経緯で生まれたのですか?
ホストをやってて、僕って何も強いところがなくて。「どうしたらいいんだろう」って悩んだ時に、周りがやってないことやろうと思って顔を隠したのがきっかけです。
実は一番最初の宣材写真とかは普通に顔出ししていたんですよ。
—— ええっ! 最初は顔出しだったんですか!?
そうです。でも「顔を隠してみたら面白いかも」と思って。最初は手で隠して宣材を撮ったりしてたんですけど(笑)。
—— まずは「手」で隠してみたと(笑)。その反応はどうだったんですか?
いや、手で隠しても全然で。それで「手じゃなくて、仮面で隠してみたらどうかな」って思い始めて。当時仮面を使っている人はほとんどいなかったし、顔を隠すことにして2回目に撮った宣材は仮面をつけました。そうしたら、それが当たって認知されるようになりました。
—— それが、今の「仮面スタイル」の先駆けになったわけですね。
まあ、今では僕の真似をしている人も多いのかな(笑)。でも、実はその裏で、アホほど滑ってるんですよ。 いろいろ試して、本当はもっとバズってほしかったのに全然バズらなかった動画もたくさんあります。滑ってることの方がずっと多い。
——それも意外でした 。最初から戦略を練りに練っていたわけではないんですね!
本当に「何でも試した結果」なんです。「ダメならやめればいい」の精神で、とにかく何でも手を出してチャレンジした。そうやって泥臭く努力し続けた結果が、たまたま今の形になっただけなんですよね。
自ら手を挙げた大宮進出。「問題児」が2つの店舗を統括するまで

—— 現在は、大宮と鹿児島の二拠点を統括されていますが、どのような経緯でその拠点を任されることになったのでしょうか。
当時の代表が、大宮に店を出すって、幹部ミーティングで発表したんですよ。ただし、「誰も連れて行かない。大宮でキャストを雇って大宮の子たちだけでやっていく」という展望だったんですよ。そこで僕が「僕がやりたいです」って手を挙げました。
—— 自ら志願されたのですね。反応はいかがでしたか?
ミーティング終わってから直々にお願いして。でも僕、当時、問題児だったんで(笑)。
—— 問題児、ですか……?
言うことも聞かなかったし、勤怠も悪い。もう本当に終わってましたね。だから手を挙げても、代表からは二つ返事ではOKもらえなくて。「ちょっと会長と相談させてくれ」って。
—— 自ら手をあげて大宮に。その情熱の源は何だったのでしょうか。
自分の店を持ちたいという目標がありました。大宮で、経営もプレイヤーも死ぬ気でやって成功させる。そう決意して、とにかく大宮の店舗を成功させることに力を使いました。大宮では最初の1年はプレイヤーもやりました。自分でお客さんを呼んで。
—— プレイヤーを続けながらの経営。相当な負担だったのでは?
経営とプレイヤーを同時にやるのは大変でしたけど、やってみて思ったのはプレイヤーの方が楽だなってことですね。大宮での経験があったからこそ、今の鹿児島にも繋がっているんだと思います。(後半へ続く)
後編では、二拠点経営の苦悩や、「どんな人でも売れる」と断言する独自の教育論、そして業界の「毒」を知るからこそ辿り着いた誠実なホスト道の核心に迫ります。

alpha by ACQUA OMIYA / alpha 鹿児島 統括代表。
6月23日生まれ。MBTIは、論理的かつ戦略的に組織を導く「ENTJ(指揮官)」。元看護師という異例の経歴を持ちながら、2本の奨学金と借金を背負った「どん底」から、わずか数年で大宮・鹿児島の二拠点を統括する代表へと上り詰めた。「仮面スタイル」の先駆者としてSNSでも圧倒的な認知を誇る。趣味はポーカー。好きな飲み物はレッドブルとコーン茶。